(私的)80年代フラッシュバック

今年はのっけから芸能界ではいろんなニュースがあったが、それらの中でデヴィッド・ボウイ逝去と清原逮捕という件が、私的80年代フラッシュバックを呼び起こしていた。
まずは、デヴィッド・ボウイ。といっても彼への関心は殆ど無い。のだが、自分的には「戦場のメリークリスマス」の記憶が強烈で、昔このブログで「戦メリ」は取り上げている為、内容の重複を避けつつ記述する。
「戦メリ」との出会いは、劇場公開の1983年。正確に記すとロードショーで観たのではなく、公開半年後位の1983年秋ごろだったと記憶している。当時自分は小学6年生、
思春期前夜で、まだギリで親と週末外出する事が嫌でなかった頃、両親と銀座の名画座でこの「戦メリ」を観たのが最初の「戦メリ」体験だった。まあ小6だったから映画鑑賞にしても批評家的態度や映画青年的パッションも全然無く、純粋に映像の美しさと音楽のマッチングに只々感動し、80年代中期の中学生時代、レンタルビデオなる文化が急発達した時代に「戦メリ」を何度も借りて場面やセリフを丸暗記する位まで見まくった事、多分人生で最も繰り返し見ている映画が「戦場のメリークリスマス」だった。
去年末にBSで「戦メリ」が放映されていたのを録画して正月休みに観て、デヴィッド・ボウイが亡くなって追悼でまた「戦メリ」やっていたのを録画してまた観た結果、脳内で初めてこの映画を観た当時の、小6時代の心象風景が鮮明に蘇った。当時の銀座の風景や、これもかつてこのブログで取り上げた「松田聖子全盛時代」も、自分的には83年。カーラジオから流れていた「ガラスの林檎」「SWEET MEMORIES」「瞳はダイヤモンド」と当時よく親に連れられて行っていた銀座や二子玉川の夜景とがシンクロした、子供心に感じ取った「東京のアーバン感」。今にして思えばバブル期に向かう前夜の東京の雰囲気があったのであろう。余談だけど松田聖子が「銀座」「二子玉川」としたら、同時代の聖子と並ぶトップアイドル中森明菜は、「少女A」「禁句」辺りはなんか「新宿っぽい」なあと、当時から思っていた。
次。清原逮捕のニュースはもちろん僕の世代には途方もなく大ニュースなんだが、TVでいろんな過去映像が流される中、西武時代の清原とか出てくると、これまた「あの頃」を思い出さずにはいられない。清原が高卒で西武ライオンズに入団したのが1986年。この頃、虚弱体質かつ運動神経ゼロでスポーツ全般無関心だった自分が唯一プロ野球だけはそれなりに熱心に見ていたのは、ファミコンの対戦型野球ゲーム「ファミリースタジアム」を通してプロ野球に興味を持ったからだった。そして清原が加入した80年代後半の西武ライオンズは、史上最強だったのではなかろうか。打者では秋山、清原、デストラーデの『AKD砲』に加えて長打も足もある石毛、打撃職人的な平野、辻とか、名捕手伊東に至るまで全く弱点が無い。投手陣も凄くて、ストレート150Km級の渡辺久信工藤公康郭泰源に加えてベテラン技巧派の東尾修、マニアックなアンダースロー松沼(兄)など、こちらも全く隙が無い。「キラ星の如きスター選手感」がこの時代の西武ライオンズでしたね。
80年代後半のプロ野球選手の中でも、渡辺久信や工藤や日本ハムの西崎が、「超イケメン」的にもてはやされ、DCブランドのスーツを着こなしたりして、当時の西武(セゾングループ)が「PARCO」「LOFT」等、東急の本拠地渋谷に攻勢を掛けていたイケイケなバブル期のイメージと融合し、「なんか西武ってカッコイイ」というところまで行き着いたあの時代。友達が渋谷丸井のDCブランドセールに行くの付き合った、高校生当時の渋谷も懐かしい。