(続き) ウィーン会議のもう一方の主役はオーストリアのメッテルニヒである。コイツもフランスのタレイランと同様有力貴族の出で、父親は当時オーストリア領だったネーデルランド(オランダ)の総督をしており、メッテルニヒ自身は女帝マリア・テレジア時代…
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