コンビニ(その2)

前回。タイトルをコンビニ(その1)としてしまったのを若干後悔。実はもうコンビニネタはそれ程無かった事に気づかなかった。残り少ない引き出しでムリヤリ繋げましょうか。
セブンだったかファミマだったか、「スラーピー」という、一言で表すと『飲むシャーベット』みたいな、細かく言うと、縁日のかき氷を食べていて最後のほうは氷が絶妙な感じに溶けてシロップと混ざり合い、発泡スチロールの容器に口を付けてズルズル飲んじゃう状態を商品化したものが(全然一言で表せなかった)あって、レジ横に「スラーピー」製造機が据え付けてあり、これがセメントを常にドロドロ状態に保つタンクローリーの原理よろしく常時撹拌されている円形保冷器によって程良いフローズン状態がキープされており、この「スラーピー」こそがコンビニ店員が単なるレジ打ち仕事以外に「柔軟な対応を求められる」最初のキッカケだったのではないだろうか?
自分は大学時代(90年代初頭)、ファミリーマートで2年程バイトをしていて、この時期はまさに店員として「柔軟な対応を求められる」ことが急激な発展を遂げた時代だったと思う。どういうことかと言うと、物品販売以外の各種サービスがどんどん導入された時期で、自分のバイト時代で言えば「宅急便の取り扱い業務」(クール宅急便、ゴルフ宅急便等のバリエーション)、「各種公共料金の支払い受付」、「原付バイクの自賠責保険取り扱い」、「チケットぴあ」の電話予約取り扱いも開始したり、カラーコピー機導入もあった。ホント毎月のように新しいサービスを開始していたからそれらに習熟するのが大変だった。
他にもこのバイトを始めた時既にあったファミマ独自のファストフード的戦略としてエビピラフやメキシカンピラフを電子レンジでチンして提供したり、コロッケやフライドチキンも冷凍モノを油で揚げて売っていた。これらは店員の自分でも買って食べるくらい美味だったなあ。
自分が中学生頃までのコンビニは、これほど多様なサービスは無かったから、店員の仕事は基本「商品の陳列」と「レジ打ち」で、あとオプションとして「スラーピー」と「肉まん」の販売くらいだったハズで、自分のバイト時代と比較すると楽だったのかも知れない。
「肉まん」で思い出したけどファミマの中華まんは「井村屋」でセブンは「中村屋」だった。個人的には「井村屋」の肉まんやピザまんが嫌いで、中華まんは必ずセブンで買うか、デイリーストアで「ヤマザキ」のを買っていた。
夜勤のシフトに入った場合、店長から厳しく言い渡されていたのが「週刊少年ジャンプ」は必ず発売日の午前0時を回ってからでないと絶対に売ってはいけない、ということだった。どういうことかと言うと、雑誌は発売日の前日の夜間に入荷することになっており、「ジャンプ」も前日(月曜)の23:00頃に配送業者から入荷する。当時「ジャンプ」は全盛期だったから気の早いお客さんが本屋の開店時間ももどかしいのかコンビニに買い求めに来るケースが多かった。で、コアな客は「ジャンプ」が発売前日の夜にコンビニに入っていることを知っているので、店員にまだ梱包を解いていないジャンプを「コレ開けてもらってイイすか?」って聞いてくるのである。ただ恐らく版元から厳しい通達がコンビニ業界にあったんでしょう。他の雑誌は前日だろうが「柔軟な対応」OKだったけど、何故か「ジャンプ」だけはきっちり発売日の0時以降に販売という掟であった。
コンビニ店員として「これぞ究極の柔軟な対応」の思い出話としては、バイトしていたファミリーマートの近所に運送会社の営業所があってそこのガテン系社員が夕方になるとこぞって弁当を買いに来る。多分みんな独身で社員寮住まいなんだろうなと思いながら「ビックリチキンカツ弁当」などをレンジで温めていたんだが、ある日その運送会社の常連の中年のお客さん(見た目Mrオクレに激似。多分独身)が、突然「ビデオデッキが調子悪くなっちゃってさあ、ちょっと見てくれないか?」と駆け込んで来て、何かその剣幕に押されて即座に「じゃあ行きましょうか!」と、レジを後輩のバイト君に任せてその人の家に行ったこともあった。家というか、その運送会社のそばにある木造アパートの一室で、結局どうビデオデッキを直したのか覚えていない。多分さじを投げて「電気屋さんに頼んだほうがいいですよ」という風にしたと思うが、それより鮮明に記憶に残っているのがそのMrオクレみたいな風貌のオッサンの住んでる部屋の様子が、なんとも侘びしい感じで「銭形金太郎」のビンボーさんの部屋をリアルに目の当たりにしたような衝撃だった。そのオッサンより遥かに年下であるけれど「なんだかこの人は可哀相だなあ」と思ってしまった。
結局長くなってしまった。しかもコンビニバイト時代の思い出をまだ語り尽くせていないわ。しかし続きは機会があればということにします。