大河ドラマ「平清盛」を擁護する(その3)

今から900年も昔の話なので、例えば150年前の幕末と比較すると、ドラマを構成・演出する上での同時代資料が少ないはずである。平清盛が生きた時代を描くのに、果たして「ネタ不足」にならないのだろうかという心配がある。
しかしこの時代、「平家物語」と筆頭に「保元物語」「平治物語」という軍記物、「台記」「玉葉」「愚管抄」といった上級貴族の日記などの同時代資料が多く、けっこうドラマティックなエピソードも多々あり、歴史好きとしては、面白い時代である。
大河ドラマ平清盛」では、これらの(史実かどうかは別にせよ)エピソード群を丹念に取り上げていて、昨年の、有り得ない設定を連発して物議を醸した「江〜姫たちの戦国」とは比較にならぬ程、しっかり時代考証を重視している。
平清盛」で取り上げられて、今現在までに登場した印象的なエピソードを列挙してみる。
1:平清盛白河法皇の御落胤だった。
これはドラマ序盤の最重要設定として扱われており、清盛と王家とのただならぬ関係性を予感させている。ドラマでは清盛と法皇が対面したり等相当脚色が入っているが実際、当時この説はかなり流布していて、真偽はともかく清盛が異常な出世を遂げた理由付けの一つとして考えられていたようだ。
2:西行の出家エピソード
北面の武士佐藤義清が宮中の上臈に失恋した事がキッカケで出家したという説があり、ドラマではその相手が待賢門院璋子となっている。問題はいよいよ出家する時に世捨て人となるけじめをつける為、幼いわが子を縁側から突き落としたという逸話があって、「いくらリアル路線とは言え、幼児虐待と誤解されるようなこのエピソードはまさかNHKはやらんだろう。」と思っていた所、「そのまま再現した」のに驚愕。ちなみにドラマでは西行と清盛は友人という設定だがこれはフィクション。それより後年源頼朝との有名なカラミがあるのだが、ドラマで取り上げてくれるかどうか。
3:藤原頼長のキャラ
悪左府」として世間から懼れられていた左大臣藤原頼長。この人の、教養の深さに裏打ちされた反論を許さない政治姿勢はともかく、「男色方面」のネタを取り上げているのもNHK的には一線を突き抜けちゃってる演出でしょう。ちなみにこの頼長という人は藤原摂関家全盛時代の先祖、藤原道長藤原頼通の一文字ずつを取って命名され、父親からは非常に期待されていた人物だったが保元の乱で敗死する。
4:鎮西八郎為朝
源為義の息子の1人で、当時恐らく最強の武者だった源為朝。一説では背丈が2mくらいあって、その強弓は鎧武者を貫通してしまう程だったとされる。保元の乱では夜襲を提案したところ藤原頼長のウンチクに論破されて却下。という展開もちゃんと描かれている。
平家側で当時最強の伊藤忠清も、弟を瞬殺されてなすすべもなく撤退という最強ぶりである。
5:藤原信頼の最期
平治の乱平清盛方に敗れた藤原信頼。当時のルールでは戦に敗れても、公卿の身分だと死罪にはならず、最高刑が流罪というのが慣例なのだが、藤原信頼の場合、甲冑を着用していて、これが「戦闘員」とみなされて、つまり武士と同列とみなされて斬首となった。
ドラマでも兜を着用するくだりがあって、その辺りの描写は細かい。但し演出上、同罪の藤原成親は助命される部分は描写があっさりとしている。成親は平重盛の義理の兄であるため、重盛の懸命な助命活動により罪一等を減じられるという史実は端折られている。

但し、ドラマを盛り上げる為の演出上の処理がかなりあるのも事実で、例えば源義朝の最期。
史実では、入浴中に長田忠致の裏切りにあい、素っ裸で抵抗するもさすがに丸腰では無抵抗状態であっけない最期となるのだが、ドラマでは長田忠致が入浴を薦める時点で刺客がそこらじゅうに潜んでいるのを感じ取って、一の郎党鎌田正清と刺し違えるというかっこいい死に様だったり、他には清盛が配下に治める海賊達が「和製パイレーツ・オブ・カリビアン」にしか見えなかったりと、ビジュアル的なカタルシスを感じるシーンも多々ある。既出の源為朝のビジュアルもモビルスーツみたいでカッコいいし。
8月に入っていよいよ第3部という事で、清盛が太政大臣となり、一門も続々公卿に出世し、「平家にあらずんば〜」の全盛期に突入。一方伊豆に流された源頼朝北条政子が夫婦になるまでのドラマチックないきさつとか、義経と弁慶の出会い辺りは確実に取り上げられるだろうし、藤原摂関家も忠通の息子世代、基実、基房、兼実が登場して、「清盛、後白河法皇摂関家」の三つ巴状態に平重盛が苦悩するみたいな展開が非常に楽しみです。

伝・源頼朝像。清盛=悪玉、頼朝=善玉というイメージはこの頼朝の肖像画と清盛の木像を比較しても明らか。