チャンピオン鷹

とは言っても、実はこの映画の内容ほとんど覚えてない。それ位しょーもない映画だったのかな。単に「チャンピオン鷹」っていう言葉の響きが心の琴線に触れただけで、ここで語りたいのは1980年代中盤の異様なまでの香港映画ブームについて思い出したいのだ。
自分はそれほどあの当時の香港映画ブームにのめりこんでいたわけではなかった。でもあの頃中学生だった自分の周囲は男子の場合ほぼ全員ジャッキーだのりー・リンチェイだの大騒ぎをしていたのだ。やっぱり全ての源流はブルース・リーと「Mr・Boo!」に始まるのだろうが、ブルース・リーは我々より数年上の世代のブームであるし、「Mr・Boo!」は、映画吹き替え史上最大の歴史的偉業と言える広川太一郎アテレコのヤツがTV放映されたのは確か小学校2年くらいの時で、「面白いなー」とはなんとなく感じても、7歳やそこらだと己の日本語自体語彙数が少ないんで、本当にあの超絶吹き替えを堪能できたわけではなかった。
1980年代の香港映画ブームを作ったキッカケの作品はジャッキーチェン監督・主演「プロジェクトA」(1983年)が定説。ジャッキー映画の特色である「酔拳」「蛇拳」等のいわゆる「拳モノ」映画が、それまでの集大成的作品とも言える「ヤングマスター師弟出馬」(1980年)で一応区切りを迎え、その後なぜかハリウッドへ進出しての「キャノンボール」、香港に戻っての「ドラゴンロード」(この映画のために独自に考案したスポーツとカンフーを融合させるというコンセプトの珍作。未見)等の迷走期間を経てようやく自己のスタイルを確立させた名作が「プロジェクトA」なのだ。ジャッキー・チェン、ユン・ピョウ、サモ・ハン・キンポーの3大スター競演というのもポイント高かった。当時クラスメート(男子)のほとんどが「プロA」は観てるんじゃなかろうか?しかし自分は観ていなかったので話題についていけなかった。それからしばらくして「またジャッキーとユン・ピョウとサモハンが共演する映画やるらしいゼ!、観にいこう!」とのお誘いを受け、クラスメート3人で「スパルタンX」を蒲田の映画館に観に行ったのだった。当時はこの「スパX」は作品の質としては「プロA」に及ばないという仲間内の評価であったが、大人になってから改めて見直すと「スパX」の方もそんなに悪くない。特にラストのジャッキーとベニー・ユキーデの死闘は、マニア筋の評価によるとジャッキーの歴代バトル史上最高峰なのだそうだ。
スパルタンX」を映画館に観に行ってから数ヶ月して、その時一緒に行った仲間の1人が「『チャンピオン鷹』のビデオ買ったからウチに観に来ない?」と言ってきた。なんせ今考えると、ちょっと前の「韓流ブーム」を思い起こさせるような香港映画ブームの時代とは言え、ジャッキーもサモハンも出てない、ユン・ピョウ単独主演映画のビデオ(以前言及したことがありますが、当時は映画のビデオって1万数千円もした)をポンと買っちゃうとは正直「コイツ大丈夫かなあ」と余計な心配をしてしまった。数日後、何人かでそいつの家におじゃまして「チャンピオン鷹」観ました。
感想1:まずテレビとビデオデッキがなぜか高さ150cm程のタンスの上に置かれており、しかも4畳半の和室のため床に座る態勢&部屋の狭さから首を45度上方に向けて画面を注視し続けた結果スジをおかしくした。
感想2:映画の内容は正直「飽きはしなかったけどイマイチか?」という程度。大枚はたいて買ってしまった彼に内心同情。
この香港映画ブームは1983年〜1987年位がピークだったのだろうか。1971年生まれの自分としては「チャンピオン鷹」以後「自分の青春時代の軌道修正」を決意。ハリウッドクラシック映画道という孤独の道を歩むことにしたのだった。
あの頃ってジャッキー、サモハン、ユン・ピョウの3人はトップアイドル並みの人気で、しょっちゅう来日してたし、なんか歌もけっこう出してたから3人で武道館コンサートも敢行したという異常な時代だったなあ。