貴族!(その6)

nisi6hiroyuki2008-05-04

(続き)
今回は、『映画と貴族』をテーマに進めます。モノクルで思い出した映画があったのだが、それはちょっと置いといて、例のごとく長い前置きから始めたいと思います。
「ルートヴィヒ」(73年・伊、西独他)。もし人に「貴族映画と言われて連想する作品は何?」と聞かれたら(自分の中でこんな想定問答集を考えるのは異常だが)真っ先に挙がるのが「ルートヴィヒ」でしょう。これを撮ったルキノ・ヴィスコンティ監督は、自身もイタリアの名門貴族出身なのは有名なのだが、つまり「餅は餅屋」的に、貴族をリアルに描ききる映画監督であって、例えば「山猫」というイタリアの片田舎(シシリー島だったか)の公爵家の内情を描いた作品では、舞踏会のシーンでは本物の貴族達をエキストラで起用するなど、その辺りの描写は黒澤明的な細かいこだわりを持っていたらしい。で、「ルートヴィヒ」だが、高校時代に読んだ「狂王ルートヴィヒ」という本(これまた中公文庫)が非常に衝撃的で、説明すると長くなるので省くが、19世紀後半のバイエルン王国ミュンヘンを首都とする南部ドイツの有力国)国王ルートヴィヒ2世の波乱の生涯を描いた内容で、ヴィスコンティのことを知ったのもちょうど同時期で、「地獄に堕ちた勇者ども」や「ベニスに死す」といった高度に退廃的な映画をレンタル屋で借りて観ては「分かったような分からないような」気分になったものだった。そして「あの狂王ルートヴィヒをヴィスコンティが取り上げていた」ということを知って是が非でも観たかったのだがどこのレンタル屋にも置いてなく、半ばあきらめていたら数年後、BSで放映された(当時実家住まいだったのでBSは見れた)のを永久保存しようと思ってちょっとイイグレードのVHSテープで録画した(但し3時間位ある長い映画なので標準モードでは録れなかった)。
観終わっての感想、もう圧巻でした。実は映画「ルートヴィヒ」は「狂王ルートヴィヒ」の原著より以前に製作されているので、無関係の筈なのだが、ストーリー展開や細かいエピソードは両者かなり一致している。美術考証的な部分はヴィスコンティ印ということで完璧。何と言っても配役が素晴らしく、主人公のルートヴィヒ2世にはヘルムート・バーガー、痩せた長身で美男子なところは、ルートヴィヒ2世の若い頃と同じで、この俳優は本来金髪だが、王の黒くウェーブした髪型や、やがて歯が悪くなって前歯がボロボロになるくだりなどの役作り(歯のほうはお歯黒でごまかしてはいるが)もしっかりしている。ただ、本物のルートヴィヒ2世は美食と運動不足が影響して段々肥満体になっていくのだが、ロバート・デ・ニーロとは違いこれだけは役作り出来なかったようで、映画では体型変化は無い。が、最も重要な点は、ルートヴィヒ2世ホモセクシュアルであり、この点が王の生涯の重要な側面となっていくのだが、王を演じたヘルムート・バーガーと、監督のルキノ・ヴィスコンティにもソッチの気があり、実際バーガーとヴィスコンティは「恋人同士」だったと言われている。他には、ルートヴィヒの唯一の理解者でいとこ同士でもあるオーストリア皇后エリザベート役にロミー・シュナイダー、芸術に造詣の深かった王に厚遇されたリヒャルト・ワーグナー役にはイギリスの名優トレヴァー・ハワードなどは本で読んだ自分の脳内イメージにぴったりハマっていたし、あと役者の名前知らないけど王の副官にして「恋人」でもあったリヒャルト・ホルニヒや、国家予算規模での激しい浪費を繰り返す王に対し、内閣の陰謀に加担して直接会っていないにもかかわらず勝手に精神病の診断を下すグッデン博士など、「狂王ルートヴィヒ」に登場する重要人物もかなり出てくるので他のヴィスコンティ作品に比べて分かりやすかったのも良かった。
ただし、この映画には唯一にして非常に残念な点がある。それは、合作映画とはいえ、やはりイタリア映画として重きを置きたかったのか、セリフが全てイタリア語であるということ。ドイツの話だし役者もドイツ人が大半なんだからなんでドイツ語でやらなかったのか?音声だけ聞いてると全員発音明瞭でセリフが長く、「渡る世間は鬼ばかり」イタリア語版みたいで、豪華絢爛&重厚な映像美に全然マッチしないのだった。あるいはこれはアテレコで、オリジナルはドイツ語で録っているのか?いずれにせよ永久保存版のはずのビデオテープが行方不明のため確かめようもないのであった。
今回は前置きで終わってしまいました。モノクルが出てくる映画の話は次回に。
(続く)