貴族!(余話)

nisi6hiroyuki2008-05-31

貴族バナシは一応今回で終了ということで、最後は「余話」として文字通り「余った話」で終わりたい。
前回の映画ネタの引きずりでもう1本。「大いなる幻影」ほどではないが、戦場に於ける貴族趣味が垣間見える作品に「スターリングラード」(2001年・米)がある。この映画、ハリウッド映画なのに主人公はソ連兵、いいモノ=ソ連軍、悪モノ=ドイツ軍という構図となっており、米国の要素は皆無なのである。もっともスターリングラード攻防戦をネタにしている時点で米国のカラミどころ全く無いのだが。それはともかく、ジュード・ロウ演じる主人公はソ連の超一流狙撃兵(スナイパー)であり、映画前半では、コイツ(ザイツェフという名前だったか)がいかにしてカリスマ狙撃兵となっていくかの出世物語をスピーディーに描いている。しかし物語というのは主人公に対する強力なライバルが登場することで俄然盛り上がるものである。ガンダムにおけるシャア・アズナブルしかり、映画「ドラゴンへの道」の、ブルース・リーに対するチャック・ノリスしかり。で、映画後半からは、ザイツェフの活躍(彼を見出した共産党の政治将校によるプロパガンダ報道によって、ザイツェフはソ連の国民的英雄として祭り上げられる)に業を煮やしたドイツ軍側は、ついにザイツェフを倒すという使命を、自軍のNo.1狙撃手であるケーニヒ少佐(エド・ハリス)に与えてスターリングラードの前線に送り出し、ザイツェフ対ケーニヒの超緊迫したスナイパー対決となるのだ。
ケーニヒ少佐、コイツ間違いなく貴族だね。任務を受けてドイツ本国から列車で東部戦線へ向かうのだが、ケーニヒは内装豪華な専用車輌で「世界の車窓から」ばりの優雅で快適な赴任となる。そういえば「スターリングラード」という同名邦題のドイツ映画(93年)があり、こっちのほうが先なのだが、ここではケーニヒ少佐とは対照的に普通の兵隊達が貨車にスシ詰めになって前線に向かう様が描かれている。ちなみに戦争映画として考えるならドイツ版「スターリングラード」のほうが自分的には点が高い。
さて、ケーニヒ少佐は、前線についてからの仕事ぶりはいたってマイペース。国家の期待を荷い、さらなる活躍をと政治将校に追い込まれるザイツェフの過労ぶりとは正反対であり、そもそも着てるもんからして違うのです。共産国家の兵士ザイツェフは、狙撃兵だからといってカモフラージュ装備を支給されるでもなく一般の兵隊と同じ官給の軍服。一方ケーニヒ少佐はとっても暖かさそうな裏地毛皮のシープスキンジャケットを着たり、状況に応じて冬季戦用アノラックに替えたりといかにも第三帝国の将校らしい雰囲気を醸し出している。また、暖炉のある宿舎に戻ると現地徴発した少年に身の回りの世話をさせ、ブーツの手入れなんかをさせているのである。前回、「第一次世界大戦が貴族文化の最後の時代だった」と述べたが、第二次大戦でも貴族は存在していたんですなあ。ヒトラー暗殺計画の実行犯シュタウフェンベルク大佐(伯爵)は、狩猟が趣味だったらしいし。しかし第一次大戦と決定的に違うのはいわゆる騎士道精神が希薄になってきた点。ケーニヒは最終的にこの現地徴発のロシア少年をダシにザイツェフを追い詰めるという卑怯な手段に打って出るというのは、「大いなる幻影」のラウフェンシュタイン大尉がポアルデュ大尉に最後に見せた「品格」と相反する展開なわけです。それにしてもケーニヒ少佐を演じたエド・ハリスは実にイイです。「ザ・ロック」のハメル准将役といい、軍人を演じさせたら現在NO.1ではなかろうか。