ジェームズ・ディーンのこと

ここ半年くらい、過労死認定レベルで仕事を続けているせいか、徐々に気力が消耗してきて、ここ数週間では何だか精神が衰弱しているような感じすら覚える。この日記はどんなに間が空いても3週間に1度は更新しようと自分の中でルールを作っていたのだが、果たせず。
前回まで延々と貴族ネタだった反動で、今回は貴族とは間違いなく縁がないと思われる「ジェームズ・ディーン」について。
今、2008年時点においてジェームズ・ディーンのことを真剣に考えている人はどれくらいいるのか?東京では100人くらいか。天才的な才能を持ちながら若くして突然世を去ったスター達、例えばブルース・リージミ・ヘンドリックス尾崎豊などは今語ったとしても全然普通の話題としてイケると思うのだが、今、ジェームズ・ディーンについて語るのはちょっとハズしてる感が強い。大体今の若い人はジェームズ・ディーンと言われてもまず知らないか、良くて「ああ、なんかリーゼントの不良っぽい人ね」と言いつつ頭の中ではエルヴィス・プレスリーの映像が出ていたりするのではなかろうか。一般的なジェームズ・ディーンのイメージは恐らく映画「理由なき反抗」の印象、すなわち赤いジャンパー(スイングトップって言うんだっけか)とジーンズ、髪型はキメキメのリーゼントで、高校生のくせに車乗り回してチキンレースに興じた挙句、ライバルを転落死に追い込むというワルっぷり、記憶違いかもしれないが確か映画の初っ端から酒酔い運転で警察に捕まって父親が呼び出されるというボンクラな不良少年。のイメージが世間的には強いのではないだろうか。
そもそも昔のハリウッド映画に興味を持ち始めたのが中2か中3の頃、当時NHK教育テレビでは月1回のペースで確か日曜夜9時くらいに昔の名画を放送する枠があったのです。で、たまたま観た「ローマの休日」にえらく感銘を受け、それまでの「昔の白黒映画は画面が観づらいしつまんねーだろうな」という偏見がいっぺんに吹っ飛んで、以降はレンタル屋で借りるのはハリウッドクラシックばかりで、当時のジャッキー・チェンをはじめとする香港映画全盛時代に背を向けたのであった。但しジェームズ・ディーンには実際のところ興味は無かった。男優ではケーリー・グラントとかハンフリー・ボガートスペンサー・トレイシーといったハリウッド王道系が好きだったので「ジェームズ・ディーンつってもよく見ると顔が柳沢慎吾に似てる気がするし別にカッコいいとは思わない」というスタンスでした。ところが文系の男子たるもの、興味を持った事に関しては書籍によって知識見識を深めるべしという高校時代に確立した自己ルールに従って映画関係の本を読んでいると、実はジェームズ・ディーンは単なる不良役者ではなく当時のアメリカ演劇界の寵児であることが判ってきた。彼が登場した1950年代は、ハリウッド映画にとって1つの転機であった。1930年頃のトーキー映画登場以降、ハリウッド黄金時代を支えてきた俳優たち、男優で言えばゲーリー・クーパークラーク・ゲーブルヘンリー・フォンダジェームズ・スチュアートハンフリー・ボガートといった連中が、第二次大戦を経て高齢化(彼等はおおむね同年代で1900年代前半生まれ)する一方、1950年代はアメリカではテレビの普及から映画産業に陰りが見え始めてくる時期でもあった。この時期のハリウッドスターといえば前述の連中が相変わらず第一線で主役を張り頑張り続ける中、あとに続くべきハリウッド正統派の後輩達、タイロン・パワー、ロバート・テイラーなどは、見た目は超2枚目ながら演技力がイマイチでパッとせず、戦後の新時代に対応できそうな演技力とルックスを兼ね備えた俳優は、1950年代初期の段階では辛うじてモンゴメリー・クリフトとウィリアム・ホールデンくらいという状況だった。この人材難の情勢下にキラ星のごとくハリウッドに光臨し続けたのがニューヨークのアクターズ・スタジオ出身の役者達であった。(続く)