どんな音楽聞いてるか(シーズン2・その5)


前回の話の続き、「IT’S A NEW DAY」(1969)。この時代のJBのアルバムは、例えば10曲あったとして期待に応える「ファンキー・ソウル」な曲は良くて3曲、あとは多分我が国で言う所のド演歌的な、謡い込みタップリのバラード曲だったり、後年のJB’Sのような重ファンクとは違う、聞き流し的な軽いインスト曲等で構成されている。コアなJBファンならば清濁併せ呑むというか、「それも含めて愛する」態度を示すのだろうけど、こちとら即効でイイ気分になりたいのでファンクナンバーしか聴かない。となると、このアルバムでは1曲目のタイトル曲がipodに入ってくる訳です。(2,6曲目もファンキー・ソウルだが惜しくも選に漏れる)
さっきネットで検索したら、このアルバム、去年紙ジャケ仕様で再発されてたらしい。紙ジャケはともかく驚いたのはタイトルに「ソウルの夜明け」という邦題が付けられていること。「IT’S A NEW DAY」=「ソウルの夜明け」これはナカナカ良い訳し方だと思う。思い出したけどマーヴィン・ゲイの「WHAT’GOIN’ON」の邦題が「愛のゆくえ」だからねえ、これはヒドイわ。全然関係ないやん。
「IT’S A NEW DAY」=「ソウルの夜明け」がなぜ良い邦題かと言うとこれは自分の思い込みに過ぎないという前提で話を進めるが、まさにこの曲はJBにとって「夜明け」を感じさせる曲なのである。前回触れたが1970年に一旦JBのバックバンドがブーツィー・コリンズ加入によってとんでもない怪作を短期間に連発、1年足らずでブーツィーは脱退するが以降のJBは「重ファンク時代」に突入するという変革が起こる。言い換えればJBは「ブーツィー以前」と「ブーツィー以後」で、平安時代鎌倉時代くらいの大きな変化があるのだ。「IT’S A NEW DAY」は「ブーツィー以前」の最後のアルバムであり、そのタイトル曲「IT’S A NEW DAY」はいわゆる「ファンキー・ソウル時代」の集大成的な曲、ウルトラ怪獣で言う所のタイラントみたいな傑作なのである。
別の例え話をしたい。「ブーツィー以前」「ブーツィー以後」の変革に匹敵するのはやっぱジャッキー・チェンの「プロジェクトA以前」「プロジェクトA以後」でしょう!ジャッキー・チェンは「酔拳」「笑拳」「少林寺木人拳」などの「拳モノ」で大人気を博していたのだがやがてこの路線に限界を感じ、試行錯誤を重ねた末に革新的な作品「プロジェクトA」を生み出す。この話は以前触れたが、「拳モノ」の有終の美を飾る集大成的な作品が「ヤングマスター師弟出馬」である。そして単にこれまでの集大成的な内容に留まらず、当時まだブレイク前だったユン・ピョウと共演するなど新しい時代への予感も感じさせる作品であった。「IT’S A NEW DAY」の場合も同様。それまでの「ファンキー・ソウル」を拡大強化した曲であり、更に、脳が段々グルーブに浸ってゆくような「ブーツィー以後」の長尺ファンクに通じる感覚が既に芽生えている名曲なのである。(続く)