アンデルセン

別にアンデルセン童話を語りたいわけではない。南極点に初めて到達した探検家?それはアムンゼン。映画「ロッキー」の監督はアビルドセンだったっけ。
パン屋の「アンデルセン」(青山店)です。軍ヲタだのJBだのと書き続けてたヤツが突然トチ狂って「王様のブランチ」風な路線に変更したくなったのではなくて、そもそも脳内メモリを始めようとしたキッカケに、たまには戻ってもいいのかなと思った次第。それはこのブログはプロフィールにある「自分の生い立ち」を語る場でもあるのではないかと考えたことによる。まあ、2〜3週に1回ペースでしか更新しないヘタレBlogを有難いことに見て下さっている奇特な方には正直退屈な話だと思う。が、今回はレアケースな初志貫徹の回ということで。
ここ数回1977、78年頃の思い出を書いてきた為か、「あの頃」の心象風景が蘇っていた。まず筆頭に思い出したのが「アンデルセン 青山店」である。と振っておいて近年の話になって恐縮だが、ナゼ自分はクレイジーケンバンド(CKB)にハマッているのか、理由は幾つかあるが大きな要因は横山剣の歌詞の世界観に、「あの頃」の自分の心象風景と重なる面があるからなのだ。例えば「ある晴れた悲しい朝」は、環八等々力あたりの『ベランダの手すりが唐草チックな』昭和40年代マンションの一室での話であったり、「昭和レジデンス」もそれ系。あと「インターナショナル・プレイガール」「OH!LANGFANG」はTVドラマ「プレイガール」「キーハンター」等へのオマージュ曲で、横山剣より10年後の世代である自分はかろうじて「Gメン75」が記憶にあるだけだが、あの時代の空気感はかすかに幼少時代に味わえた世代なのでとても懐かしい。そしてCKBには「青山246深夜族」というアルバムもあり、これは青山スパイラルでのライブ盤ということでのタイトルだが、横山剣は間違いなくあの時代(1970年代)の青山・赤坂・麻布あたりの空気感を意識していると思う。但し横山剣の内面世界は「昭和テイスト」だけでは到底語りきれない多面性があって、その辺については音楽編でいずれ述べたい。
さて、「アンデルセン 青山店」に話を戻す。まあここからはホントに個人的な幼少時の追憶になっちゃうんだけど、我が家はけっこう貧乏で、当時住んでいたのが大田区の池上という所の、借家というか美化した表現でいうとガレージハウス?みたいな、つまり1Fが自動車整備工場か町工場のような(あやふやな記憶)、分かりやすく言うと「機動戦士ガンダム」のサイド6におけるテム・レイが住んでたジャンク屋、見た目は正にあんな感じです。その2F部分を間借りして両親、祖父母、それと生まれたばかりの妹、6人家族で住んでたんだよね。風呂が無いから銭湯通いで、幼少ながらリアルタイムに70年代の「神田川」的風景を体験したのは今にして思えば貴重な事だったと思う。但し父親の仕事の関係で自家用車だけは所有していたんです。そこで当時週末の唯一のレジャーはドライブだった。自分が幼稚園児の頃はいすずの「フローリアン」というオヤジくさい4ドアセダンだったなあ。年長の時に雪谷という所に中古住宅を買って引っ越した頃は「ジェミニ」でした。当時「俺達は天使だ」という、沖雅也、長谷直美などが出ていた、松田優作の「探偵物語」にちょっと近い味わいの探偵ものコメディードラマがあったんだけど、そこで登場するライトグリーンの、当時の日本車としては非常にPOPなカラーリングのジェミニと同年式の型だった。但し我が家のジェミニは淡いメタリックブルーという地味な色だったのがいかにもウチのオヤジの趣味だったんだけど。
当時のドライブコースは大抵決まっていて、銀座か日本橋のデパートにいってそこの大食堂で昼食を食べて帰る。もち自分は必ずお子様ランチでした。もしくは青山・赤坂あたりを流すというコースもあった。その場合、必ず立ち寄ったのが「アンデルセン」なんです。すごくそれが記憶に残っていて、「アンデルセン」で菓子パンやらドーナツやらを買って帰って食べてた。自分のお気に入りはチョコドーナツ。説明すると、プレーンドーナツの上半分にチョコレートをコーティングし、さらにその上にチョコチップを振りかけたタイプで、これがホントに大好きでしたねえ。いまでもこのタイプのドーナツを見かけるとヤバイです。
しかしよくよく考えてみると、青山赤坂はまあ大人の街であって、子供が楽しめる場所は全然無いにも関わらずなぜ連れ回されていたのか?この疑問がつい最近解けた。当時父親は週末の副業として、永田町の議員会館に行って、政党の機関紙かなにかを議員事務所に配布するというアルバイトをしていたという話を聞いたのである。そういえばうっすらと記憶に残っていて、議員事務所の事務のオバサンに茶菓子(ゴーフル、ナボナ等)を振舞って頂いたということを思い出した。で、永田町からの帰路は青山通りを通るので、それで「アンデルセン」に寄ってたんだと。以上個人的幼年時代バナシでした。