駄菓子屋(その1)

nisi6hiroyuki2009-05-15

もう2ヶ月程前の話だが、会社の同僚(正確には1期先輩)との間で「ハートチップル論争」という事件が勃発した。『精神年齢が中学生並みである者同士』である僕と彼は会話の内容もほぼ中学生レベルで、その時は「子供の頃食べていた駄菓子の話」をしていて、同年代であるがゆえ話題の上るたいていの駄菓子は「あー、あったねー」的に記憶が2人の間で同期するのだが、意外や意外、彼は「ハートチップル」を知らなかったのである。
その1期先輩の彼は北海道出身で、どうやら北海道には「ハートチップル」が進出していなかったようなのである。「よっちゃんいか」も「フェリックスガム」も知っているのに「ハートチップル」を知らぬとは何事か!と近くにいた同年代のヤツが食って掛かったりして夜の残業タイムのオフィスは「サラリーマンNEO」ばりのシュールなシチュエーションになったのだが、この事件は今回の本題ではなくて、語りたいのは子供時代の駄菓子屋事情についてである。
2009年現在では「木造家屋の土間を売り場にして、茶の間の傍の上がり框にレジを置いて、『おばあちゃんのぽたぽた焼き』のイラストみたいなルックスのおばあちゃんが経営している昔ながらの駄菓子屋」という形態はもう無いんだろうね。駄菓子屋に関しては東京23区で考えると、東側の地域(墨田区とか江戸川区とか、本命は荒川区)がコアな店が多そうなイメージがあるが、自分の住んでいる大田区(南側地域)でも、「駄菓子屋サーモグラフィー」という機器がもしあれば結構な密度で反応する気がする。余談だが我が尊敬の師、泉麻人氏は東京23区の西側の人であるが(新宿区および杉並区)彼の場合は育ちの良さもあってか子供時代は一流メーカーのお菓子を主に食べていたのか、駄菓子屋に関する著述が少ない気がする。地域的特長としても大田区と比較して駄菓子屋サーモグラフィーにあまり反応しない地域なのかも知れない。
自分の小学校時代は、まず各小学校の学区域内に何軒か駄菓子屋が点在していて、低学年時代は自宅から一番近い駄菓子屋をいきつけの店とし、中高学年になって行動範囲が拡がると、学区域内の数軒を自転車でハシゴしたりする文化があった。自分の通っていた小学校は学区域が割と広かったので、学区域内に存在する駄菓子屋は、7、8軒位あったかも知れない。特に近所で常連にしていた店が「田所(たどころ)」と「金魚屋(きんぎょや)」の2軒だった。(続く)