駄菓子屋(その3)

小学生当時(昭和53年〜59年)通いつめていた地元の駄菓子屋「田所(たどころ)」と「金魚屋(きんぎょや)」の2軒がほぼ毎日行っていた常連店で、他にも「たまに行く程度」の店は何軒かあった。店名がハッキリしているところでは、「ダルマ堂」「たかなし(高梨商店)」。「ダルマ堂」は店主のオヤジが怒りっぽいキャラで、「たかなし」のほうは、店の雰囲気は悪くなかったものの、小学生の行動範囲としては遠い場所にあったのであまり行かなかった。家のすぐ近所に、地元のガキ共の間で「ねんど山」と通称されていた空き地があり、そこの脇に100段くらいある長いコンクリ階段があって、実はこの近辺はドラマのロケ地としてちょくちょく使われている場所として地元では有名で、数年前はキムタク&松たか子主演の「HERO」にも登場した場所であった。このコンクリ階段のふもとにかつて「牛乳販売店兼駄菓子屋」があった。店名は判らなくて、通称すらなかった店だが、友達とこの店に行く場合、記憶によると近くの東調布公園という、よく遊びに行っていた公園へのルート上に存在していたので、公園の行き帰りに自動的にここで買い食いをしていたから店名なぞ知らずとも別に不便を感じなかったのである。
隣の小学校のテリトリーである「洗足池商店街」にすごくヤバイ駄菓子屋があるとの噂を聞いて行ってみた事もあった。何が「ヤバイ」のかというと、「双子のバアさんが経営していて、2人とも性格が超キツイので、とても緊張しながら買い食いをしなければならない」という、ドMな人にはオススメな駄菓子屋らしいという特ダネ情報が記者のデスク(小学校の机)に入ったので、縄張りの外ではあるがジャーナリスト魂(駄菓子屋記者)に火が付いて急遽出動となったのだ。結果は、噂の通りだった。憎たらしい顔つきの双子のバアさんに「とっとと買うモン決めとくれよ!」とドヤされ、お金払っても「まだ貰ってないよ!」完全天然ボケをかまされ、確かに店内で買い食いをするにはストレスの溜まる環境で、買った駄菓子は持って帰って家で食べたほうがイイわい。と思うほどで、とにかくさんざんな目に遭った。但し店構えは「これぞ駄菓子屋の王道」という雰囲気があり、木造家屋の土間に裸電球1つぶら下がっていて、商品は、駄菓子小売業専用と言っても過言ではない、仕切り板で細かく区切られた木製の平面陳列ケースに並べられ、正に「ALLWAYS三丁目の夕日」の世界がそこには存在していた。
中学校に上がると、隣の小学校の連中も同じ中学に入ってきて、自然と友達になっていくのだが、自然の成り行きで「お互いいきつけにしていた駄菓子屋を教えあう」という文化交流が展開される。お互いにテリトリー内のいくつかの駄菓子屋を教えあうのだが、隣の小学校出身の連中が特に贔屓にしていた秘蔵の駄菓子屋を案内された時の事が特に記憶に残っている。
その店は住宅街の路地裏のさらに奥地にあり、1度行っただけではとても道順を覚えられなそうな場所にあった。店構えは「金魚屋」ほどディープではないが、木造平屋の粗末な家屋で、例によって看板が無いから店名は不明。この店の何がスゴイかというと、普通の駄菓子屋では取り扱ってなさそうなマイナーな駄菓子を数多く売っていて、具体的にはよく憶えていないものの唯一記憶しているのが、豆腐のパックを1/5くらいの大きさに縮小したような四角い透明ケースに入ったゼリーで、これを、由来は不明だが「化学ゼリー」と呼んでいた。味はメロンとグレープとオレンジの3種だったような気がする。この「化学ゼリー」、冷蔵庫でチルド状態に冷やされたのが美味だった。この店独特のルールで「冷蔵料制度」というのがあり、「化学ゼリー」を常温状態のものを購入すると¥20なのが、「冷蔵仕様」だと冷やし代としてプラス¥5が追加され¥25になるのだ。これは「化学ゼリー」に限らず「すもも漬け」も、チュウチュウ吸って飲む飲料(グリコパピコのショボイコピー商品)も、常温とキンキンに冷えたものでは¥5の差があった。
駄菓子関連の話はまだ尽きないので別の機会で触れたいと思います。