ダイシン百貨店

ここのところ子供時代の思い出話モードになってきているが、30年くらい昔の記憶となるとやや薄れかけているので、今回も記憶の定かなうちに脳内メモリを記述しておこう。
池上から雪谷に引っ越した時自分は幼稚園児だったが、転園はしなかったので長距離通園をしていた。幼稚園→家までの距離が、園バスのカバーする範囲をはるかに超えていたので、普通の私鉄バス(東急バス)で定期券を買って通っていた。自分は現在幼稚園児の子供を持つ親となっているが、幼稚園児が1人で一般のバスで通園しているなんて今の感覚では考えられない事態ですよ。行きはバス停までは母親が送ってくれて、お迎えは、基本的に園まで来てもらっていたと思うのだが、慣れてくると途中のバス停で一旦降りて待ち合わせるということもやっていた。当時を思い起こすと、「帰りに1人でバスに乗って指定されたバス停で降りて、そこで母親の来るのを待っている」という行動は、幼稚園児である自分としては心理的にとても不安だったのを憶えているが、何故そんな事をしていたのかというと、そのバス停の傍に「ダイシン百貨店・久が原店」というスーパーに毛が生えたような百貨店があって、ここで夕飯の買い物をしてから帰るという生活上の理由の為であった。今でも憶えているが「安詳寺というバス停で降りて、もしお母さんがまだ来てなかったら、バス停傍にある『ロダン』という喫茶店の前で待っていなさい。」と母親に言われ、幼い頭の中で「あんじょうじ、でバスを降りて、『ろだん』というところの前で待つんだ。」と何度も反復して、なんとか無事に母と合流すると「ダイシン百貨店」の2Fでまず食料品を買い、お菓子売り場で「アポロチョコ」か「明治ストロベリーチョコレート」を買ってもらい、運がよければ電車の連結部みたいな狭苦しい渡り廊下を通って別館(といってもかつて存在していた高校の校舎を改装した変則的な建物)のおもちゃ売り場を「見ることを許される」(決しておもちゃを買ってもらえるわけではない)というパターンでした。さらに運がよければ3Fに上がって「ファミリー食堂」という、食券を買ってセルフサービスで厨房から料理を受け取って、返却もセルフという、社員食堂みたいな所でソフトクリームかクリームソーダを食べさせてもらったなあ。実はこの、どローカルな「ダイシン百貨店」、数年前に2ちゃんねるでスレが立っていて、それによるとルーツは長野県にあるそうで、「ダイシン」の「シン」は信州が由来で、長野県にも姉妹店が存在するらしい。そしてなんと「ダイシン百貨店」はウィキペディアにも載っており、確かにその辺の情報も網羅されている。さてこの「ダイシン百貨店・久が原店」は2005年に閉店し、現在は全く建物も建て替えられて「東急ストア」になってしまったが、大森にある本店は現存している。


この「ダイシン百貨店・大森店」は、もし自分が「世界遺産」を決める委員会のメンバーだったら、日本での候補リストの筆頭に挙げたい位で、平成も21年にもなっている現在、店内の雰囲気はというと、なんつーかなー、昭和50年頃の「オイルショック」の時に主婦達が血相を変えてトイレットペーパーを買出しに群がったスーパーマーケットのニュース映像、「NHKアーカイブス」に出てきそうな昔の粗い粒子のフィルム映像のあの光景、あんな感じがまんま残っている、「スーパーマーケット」でも「デパート」でも無い、まさに「百貨店」なのである。かつてお世話になった「久が原店」も、「大森店」と店内の状況はほぼ同じだったので、この「大森店」は、昔の記憶を蘇らせてくれる貴重な存在なのだ。そしてここにも「ファミリー食堂」があって、「食券」「セルフサービス」「ソフトクリーム売り場」という基本形が守られており、今でもラーメンが¥380位で食べられる安さなのだ。上記の写真はあえて店舗の裏手から撮ったのだが、これがかつての「久が原店」の雰囲気を感じさせる昭和40年代建築なのです。