トーヨーボール

子供時代、「ダイシン百貨店」と並ぶ地元の大型建造物が「トーヨーボール池上」であった。第2京浜国道沿いに圧倒的存在感で周囲の風景を支配していたあのトーヨーボールも、今や閉鎖され廃墟化が進行している。そもそも「トーヨーボール池上」は写真の建物は現役時代「B館」と通称されていて、隣には渋谷109みたいな形状の円筒形の建物が「A館」として存在していのが数年前に取り壊されて「コジマ電機」になってしまい、B館のみ、それも1フロアのみ細々と営業していたのであった。
「トーヨーボール池上」は、恐らくボーリングブーム全盛の1970年代初期に建てられたのではなかろうか?近所に住んでいた70年代前期にはもう存在していて、しかもボーリングブームの余熱がまだまだ残っていた時代だったから、フル稼働していたA館,B館は共に7、8階建てで、全フロア合計で何百レーンもあったろうね。外観はとにかくネオン過多で「世界最大」の文字がカラフルに点滅するネオン看板が誇らしげに輝いていたのを憶えている。但しウチの親はあまりボーリングを嗜まなかったようで、子供時代ここでボーリングをした記憶は無いが、B館の最上階に確かゲームコーナーがあってそこでインベーダーとかをやったことがあるような気もする。


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高校時代、友人達と明治神宮に初詣に行き、元旦0:00丁度にお参り出来るように並ぼうと大晦日の夜10:00位から行列に並んで、大晦日のこの時間帯の明治神宮の人出はホントハンパじゃなくて、結局本殿前に到達したのは1:00くらいだったか?その後我々はハイテンションのまま、「朝までどっかで時間つぶそうぜ!」という事に決定したものの、当時はまだギリギリでカラオケボックスも無い時代だし、そもそも高校生が行けるような遊び場で24時間営業しているところなど殆ど無い。そこで「地元のトーヨーボールって所は24時間やってるからそこ行こう」と提案。大晦日〜元日は鉄道が終夜運転しているから、原宿→五反田→(都営浅草線西馬込で降りてトーヨーボールに着いたのは3:00位だったか、そんな時間にもかかわらず場内は混雑しており、数十分順番待ちをするという予想外の展開だった。今振り返ると当時(バブル期)は若者の間でちょっとしたボーリングブームがあったんだね。地元のにいちゃんねえちゃん達がお祭り気分で新年を過ごそうと押し寄せてきたという事です。


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誰から聴いた話かは忘れたが、「トーヨーボール」、かの横井秀樹がオーナーだったらしい。横井秀樹といえば「ホテルニュージャパン」のオーナーで一躍世に知れた人物だが、実は戦後日本の裏社会の重要人物であるという事を「東京アンダーワールド」を読んだ時に知った。
別の話になるが、10年程前にこの「トーヨーボール」の駐車場で少年がリンチされて殺されるという事件があり、(この事件単なる殺人事件で片付けられないスキャンダラスな事で当時有名になったのだが、自粛)ここは結構ダークなスポットなのかも知れない。

*1:現在閉鎖されているB館。左下に小さく見えるコジマ電機はかつてA館があった場所。実はかなり前に世界最大の地位を他(噂では香港のとあるボーリング場)に譲っており、閉鎖された今、この文字は虚しいのみである

*2:B館裏手駐車場側から撮った写真。老朽化の為壁面のヒビ割れが目立つ