有楽町マリオン、そして子猫物語

nisi6hiroyuki2010-03-13

有楽町マリオン西武百貨店が今年をもって閉店というニュースがひと月ほど前にあった。
有楽町マリオンがオープンしたのが1984年。銀座の映画館で「戦場のメリークリスマス」を観た翌年で、自分の記憶ではこの頃の銀座の風景が強く残っている。有楽町マリオンが出来た頃から銀座はデパート戦争と呼ばれる状態に突入し、老舗の三越松屋松坂屋に対し、新興勢力である有楽町マリオンの西武と阪急、(阪急百貨店は数寄屋橋にもあるので至近距離に2店舗存在する)プランタン銀座がオープンしたのも1984年。当時は週末になるとやたら銀座や日本橋二子玉川のデパートに家族で行っていた。なんかデパートという場所の華やかさに、子供心にも精神的充足感を感じていた時代だった。1983、4年といえば、バブル時代に突入する前夜といった時期で、今振り返れば、我が家の家庭環境も急に物質的に充実してきた時期だったような気がする。2010年の現在、親となった自分が、我が子に同じような行動をとることは到底出来ない。そもそも車も無いし、デパートでお金を使う行為がまずありえない。よく言われていることだが、自分の親の世代(60代)より自分の世代(30代)のほうが確実に貧しくなっているという事が、こうした思い出一つでも実感できるのが哀しい。
有楽町マリオンには、西武側にも阪急側にも上層階に映画館が幾つか併設されており、シネコンの無い当時、ほぼシネコンと同じ機能を果たしていた画期的な場所であった。マリオンには、20代の頃何度となく映画を観にいっていたハズなのだが、見事にほとんど憶えていない。記憶に残るのは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000年・デンマーク)と、「子猫物語」(1986年・日本)の2本のみ。
ダンサー・イン・ザ・ダーク」に関しては、インテリ映画マニア受け的な映画なので語る気は無くて、やっぱ「子猫物語」のほうが重要ですね。
しかし1986年といえば中2の頃で、もう完全に親と一緒に行動したくない時期のはずなのに、何で「子猫物語」を両親とマリオンに観に行ったのか、当時の心境がよく判らない。それに昔のハリウッド映画に目覚めた時期に何故ムツゴロウが監督した「子猫物語」なのか。多分、家に猫を飼っていて家族全員で可愛がっていたので、「まあ、子猫物語観てもいいかな」と思ってしまったのだろう。ただ、やはり実際この映画をスクリーンの大画面で目の当たりにすると、14歳の少年には非常にこっ恥ずかしい内容だった。まず主役のチャトランと相棒のプー助というパグ犬との心の交流がもういかにも「これって感動するよね!ねっ!」と押し付けられるような匂いプンプンだし、劇中所々挿入される小泉今日子による、本編と全く関係の無い詩の朗読場面。キョンキョンはナレーションのみで画面には登場せず、詩の内容に沿ったストップモーションの動物達の生態と、キョンキョンが感情タップリに朗読する詩が、結構ストレートに心に響いてくる(今知ったのだが、谷川俊太郎の詩だった)のが、思春期真っ只中の自分にはちょっと受け止めたくないイヤな感覚があった。でも、これだけ印象に残っている映画ということは、裏を返せば深層心理的には好きな映画なのかも知れない。