龍馬伝(続き)

前回中途半端な所で終わらせてしまったが、この間に「龍馬伝」は第2部が終了。武市半平太切腹、以蔵は打ち首となり、物語前半における重要な存在であった土佐勤王党が壊滅。龍馬たち神戸海軍塾の残党も、これからどうなるのか?という所でいよいよ坂本龍馬が、混沌とした幕末の世を収めるべく飛躍をする第3部に突入する。
龍馬伝」に限らず幕末を舞台にした大河ドラマはハズレが無いように思う。断言してしまうが幕末という時代は日本の歴史の中で最もボルテージの高く、最も変化の激しい時代である。1853年(嘉永6年)にペリーが黒船で来航してから、1868年の明治元年までわずか15年。他の国の100年、いや数百年の歴史に匹敵するような変化をこの15年間に経験したという事実は、司馬遼太郎先生の表現を借りるなら「日本は、世界でも第一級の歴史を持った国である」と言いたい。
大河ドラマで幕末期を舞台としているものは、自分が見た中では「徳川慶喜」「新撰組!」「篤姫」であるが、これらは全て体制側(幕府側)の人物が主人公だった。それはそれで深いドラマがあるのだけれども、やっぱ革命側の連中のほうがキャラ的に熱いヤツが多いし、これまた司馬遼イズムの受け売りだけど、当時まだまだ磐石と考えられていた徳川幕府を倒してしまおうと、命の危険も顧みず東奔西走する志士達は、普通の人間からは想像出来ない狂った部分があったし、実際、吉田松陰をはじめとして、常軌を逸した行動のために命を落とした者も多かった。
そんな幕末の志士のなかでも坂本龍馬の生涯は特に波乱に富んでいる。19歳で剣術修行の為江戸に出てきた直後に黒船来航があり、龍馬自身も土佐藩に割り当てられた海岸警備の為品川辺りの海岸に詰めていたが、ペリー艦隊は測量の為、羽田沖のあたりまで来たらしいから、龍馬は実際に黒船を見たのかも知れない。(「龍馬伝」「竜馬がゆく」共に、龍馬は浦賀まで黒船を見に行ったという設定になっている)
この調子で龍馬の人生を書いていくと延々終わらないので端折るが、彼が直接・間接に経験した事件を挙げると、土佐勤王党への参加とその後の脱藩。池田屋事件(神戸海軍操練所の龍馬の同志が参加、死亡)禁門の変(戦後に、師匠の勝海舟と京都を偵察。敗残の長州藩士の自決を目撃)薩長同盟(この同盟が、倒幕の最大の原動力となる。薩長同盟は、正に龍馬の一大事業である)長崎における活動。亀山社中のち海援隊としての商業、海運業。寺田屋襲撃事件(数百の幕吏、会津藩兵に囲まれるも奇跡的に脱出。九死に一生を得る)第二次長州征伐(高杉晋作とともに幕府海軍と海戦を行う。)と来て、幕末の政局もいよいよ大詰めとなって大政奉還。これは諸説あるが龍馬の提言から土佐藩参政後藤象二郎山内容堂へ、そして幕閣へ伝わり15代将軍徳川慶喜を動かしたとされる。そして龍馬の更にスゴい所は大政奉還後の日本を見越して「船中八策」を提示していた事である。それから間も無く龍馬は暗殺されてしまい明治の世を見ずに生涯を終えてしまったのだが、それが逆に坂本龍馬という男を神話的存在にしているのだろう。
何が言いたかったのかというと、龍馬は、ペリー来航から慶応3年の大政奉還まで、数え年19歳から33歳までの己の生涯が正に幕末を象徴している稀有な人物であり、彼以外の幕末の志士達、その中でも第一級の連中(桂小五郎、西郷吉之助、大久保一蔵、高杉晋作武市半平太など)や、当時はまだ若年で第二級クラスだった者たち(伊藤俊助、のちの伊藤博文井上聞多、のちの井上馨や、龍馬の弟分である陸奥陽之助、のちの陸奥宗光)など、彼の交流関係の広さ&深さも驚異的で、そもそも幕臣である勝海舟の弟子になってしまった事が彼の途方も無いスケールのデカさを現している。例えばありえない話だが、アムロが、敵ジオン軍の中でニュータイプに対して進歩的な考えをもっているキシリアとかシャアに教えを請うみたいな、裏切り行為と捉えかねない行動を龍馬は平然と行っている。
龍馬のスケールのデカさついでで言えば、彼は武士ではあるが、商人的な側面も持っており、彼の興した海援隊は軍事的な意味合いだけでなく海運商社的性格もあり、龍馬の死後、岩崎弥太郎がこの、龍馬の片鱗的な事業を引き継いで三菱の基礎を作り上げたというエピソードもある。
細かい話だが、「龍馬伝」第3部に入って、新天地長崎での龍馬の髪型が変化していて、これが現存する長崎時代の龍馬の写真(有名な、ブーツ履いた立ち姿の写真とは別)の髪型とそっくりで、これはもうマニアでないと気づかないレベルではなかろうか?今回のNHK大河スタッフはホントにリスペクトです。