菜の花の沖

nisi6hiroyuki2010-12-30

今年は日本の周辺が物騒でしたね。尖閣諸島とか、北方領土とか、韓国と北朝鮮も緊迫状態だし、世界を俯瞰するに東アジアは結構不安定な状況なのかもしれない。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」を久しぶりに読み出しているが、最近の、近隣諸国に対する日本外交を考えると、この本の内容は非常に示唆に富んでいるようで意義深く感じられる。
菜の花の沖」は司馬遼太郎の小説としては珍しく江戸時代の話で、主人公は高田屋嘉兵衛という海運商人、となってくると戦国・幕末好きな司馬遼ファンからすると興味が薄れて不安になってくるのだが、「菜の花の沖」は、「戦国・幕末もの」とは違うベクトルでの面白さを持つ小説なのだ。
江戸時代というと徳川幕府鎖国政策や農本主義政策から想像して、前時代の安土桃山時代より経済が退化しているイメージがあるのだが、確かに鎖国によって対外貿易が極度に抑制されていたものの、国内経済は精密かつ高度な発達を遂げ、明治維新後急速に西洋文明を取り入れることが出来た下地は、江戸時代の商業的・文化的な熟成が大きく寄与している。高田屋嘉兵衛が活躍した時代は、寛政〜文政年間(18世紀末〜19世紀初期)で、江戸時代の文化面、商業面での諸制度が大完成した時期でもあった。
この「菜の花の沖」は、前半は淡路島の貧農出身である嘉兵衛が、貧しい幼少時代から苦節して立身していくストーリー、中盤は、自分の商売の新天地として蝦夷地(北海道、国後・択捉島)に進出した嘉兵衛と、蝦夷地開発とアイヌ保護に志を燃やす幕臣達との交流と、シベリア、カムチャッカを版図に加えさらに蝦夷地を窺うロシアの冒険商人、軍人が登場するに及んで物語はまるで大作映画を観ているかのようにスケールが大きくなり、クライマックスは、(蝦夷地周辺、当時まだどの国にも所属していなかった樺太択捉島等における日露の接触から、やがてある事件が勃発するという経緯の後)、嘉兵衛がロシア軍艦に捕らえられてカムチャッカまで連行されるも指揮官リコルド少佐と心を通じ合わせて、日露間での厄介な問題を見事解決に導いていくという、まさに「起承転結ストーリーのお手本」。司馬遼太郎の小説は「義経」「城塞」のように日本国内のみを舞台にしていても圧倒的なスケール感を持つ作品も多いが、もう一方の主要舞台に外国を設定している作品、「坂の上の雲」とか「空海の風景」とこの「菜の花の沖」は、さらに次元が変わって、子供の頃世界地図を眺めては未知の国に想いを巡らせていた時のような醍醐味を味わえる。
話を冒頭に戻すが、今年のニュースの一つにロシアのメドベージェフ大統領が北方領土を視察したという出来事があった。高田屋嘉兵衛がロシア軍艦ディアナ号に捕えられたのが1812年。200年後の現代においてもいまだに日本とロシアは嘉兵衛が活動していた場所を巡って争っているというのは歴史の奇遇なのか愚かしさなのか。
この小説では、時代背景を説明する為に「寛政の改革」で歴史の教科書に必ず載っている松平定信と、彼とは正反対の重商主義政策を採っていた前任者・田沼意次という2人の政治家について論じている箇所があるのだが、司馬遼太郎は、旧来の農本主義に立ち返ろうとした松平定信については否定的な見解を持ち、積極経済政策を推進しようとした田沼意次にやや肯定的な論評をしている。世間的には田沼意次は「賄賂政治家」のイメージが強く、「松平=善、田沼=悪」として語られる事が多かった。この世評に真っ向から反しての論説は彼の歴史観を考える上で一つの材料になるのではなかろうか。
個人的な政治思想を語るつもりが無いので、「菜の花の沖」や「坂の上の雲」を読んだ印象としての、かつての日本人の外交能力と比較して今はどうだとか言う気はありません。