(ユルく語る)日本の歴史・第5回

今回もユルく語れなそうだなあと予告。
雄略天皇は初めて古記録と考古学的成果が一致した天皇であり、つまり確実にその事績が判明している天皇なのである。雄略天皇の中国側呼称(という定説)である『倭王武』が中国に送った上表文に「(祖先は)東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平らぐること、九十五国」とあり、雄略天皇の時代のヤマト王権の規模を推察できる文面なのだが、考古学的には埼玉県の稲荷山古墳と熊本県の江田船山古墳から「ワカタケル」(漢字表記が難しいのでカナ表記にしてます)と銘された鉄剣が出土している。「ワカタケル」は雄略天皇の本名であり、「東は毛人を征すること五十五国」とは毛野国群馬県、栃木県)に至る関東地方、「西は衆夷を服すること六十六国」とはいわゆる熊襲熊本県)あるいは隼人(鹿児島県)までヤマト王権の版図に入れていたという事の証左なのである。
では「渡りて海北を平らぐること、九十五国」とは?朝鮮半島です。雄略天皇から遡る事7〜80年前、高句麗の「好太王碑」で倭軍と高句麗軍が激突したという事が記録されており、当時倭国朝鮮半島南部の国家である百済新羅を影響下に置いていた事が類推される。この頃にもタイムスリップしたいなあ。当時の朝鮮半島の人々はどんな生活をしていたのだろうか?この時代キムチは無かったけれど、ならば焼肉をガンガン食していたのだろうか?前述したけど倭人と韓人の関係性は結構近かった気がするが言葉や食生活がどれくらい違っていたのか知りたい。
古墳時代はまだまだ続き「継体天皇」「聖徳太子」「蘇我氏」「磐井の乱」「白村江の戦い」等々知りたいキーワードが沢山あるが、モチベーション不足につき古墳時代はこれにて終了。この辺のネタをポッドキャスト「おもれき」で扱ってくれないかなあ。