戦国武将(ルックス編)

やはりドラマや映画に登場する戦国武将は、役者さんが演じているわけだから、ルックス的には美化されている。では実際の戦国武将達の容貌はどうだったのか?というと、肖像画で確認する限りでは「大半が普通のオッサン」である。しかし当時の日本人の画力は写実においては心もとなく、勝手な推測を巡らせざるを得ない面もある。
戦国時代から300年も遡るが源頼朝平重盛肖像画は戦国期に比べ遥かに写実的で素晴らしい。(但し異説もあり、教科書に必ず載る位知名度の高いあの源頼朝肖像画は実は南北朝期の、足利尊氏の弟、足利直義肖像画であるという説もあるのだが)
戦国武将で誰もが認めるイケメンはやはり織田信長でしょうか?いくつか残されている肖像画を見ても、細面で鼻筋の通った現代的な風貌であり、また、実際に信長に会ったポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは本国への報告書に信長について「長身痩躯」とあり、当時の日本人の平均身長よりかなり長身で170cm位あったと思われ、均整の取れた体型でスタイル的にも秀でていたようである。肖像画を見ても、頭部と身体の比率から類推して確かに身長170cm くらいかなと思う。昔の西洋人も実はそれほど背が高くなかったという説があり、まして小柄な部類に入るポルトガル人から見て「長身」となると170cm説は濃厚か?
現在「天地人」で松田龍平が、昔は「独眼竜政宗」で若き日の渡辺謙が演じた伊達政宗は、遺骨を調査したところ身長は159cm位という結果で、龍平ワタケンのような180cm超の大男ではなかった。伊達政宗の顔立ちは、肖像画から推測するに北方謙三風な「シブいオヤジ」な感じ。
豊臣秀吉は関白時代のものや、若き羽柴秀吉時代の肖像画を見ても、「猿」というよりはネズミっぽく、実際のエピソードもあり、それは信長が秀吉の奥さん寧々に、秀吉の浮気癖をなだめるという内容の手紙を送った事があり、そこで「かの剥げ鼠め」と書いており、確かに秀吉の風貌は「剥げ鼠」のほうがしっくり来る。身長は150前半くらいか?徳川家康は、一般的なイメージとしては目がクリっとしていてでっぷりと太った「狸おやじ」だが、30代の頃に有名な「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に完敗して命からがら浜松城に逃げ帰った時の憔悴しきった姿をあえて絵師に描かせた肖像画が非常に印象的で、当時の家康は体脂肪率10%位の痩せっぷりで晩年の狸おやじの雰囲気は皆無である。
娘の細川ガラシャが絶世の美女(「功名が辻」では長谷川京子が演じた)と評され、父親当人も美男といわれた明智光秀は、確かに肖像画ではインテリ風美男子ではあるが、実は若ハゲだったらしく、信長から「この金柑頭っ!」と、どやしつけられていたらしい。
信長の妹婿である浅井長政も美男子と言われていたが肖像画を見る限り「???」である。但し体格は恵まれていて、双羽黒(ちと古いか)ばりの体型で現在の角界にデビューしても全然やっていけると思う。長政の妻、つまり信長の妹である「お市の方」も美女の誉れ高い人だが肖像画は『初期の志村けんのバカ殿様』に出てくる由紀さおりみたいでこちらも「???」。但し背は高かったらしい。この長身夫婦の間に生まれた有名な「淀君」(「天地人」では深田恭子が演じる)もまた長身で、その息子である豊臣秀頼がまた馬鹿でかい男でコレも双羽黒級で、秀頼に引見した家康がその雄大な体格に圧倒されて豊臣家を滅ぼす決意を固くしたとも云われている。
大男系では前田利家肖像画から推測する頭部と体のバランスでは180cmはありそう。ちなみに「犬千代」と名乗っていた少年時代には信長とボーイズラブだった。
加藤清正も180cm超といわれているが、彼が着用した甲冑から推測すると実は小柄だったという説もある。
ブサメン系で有名なのは九州の戦国大名、竜造寺隆信。例えるなら「狛犬とダルマを足して2倍濃くした顔」という感じか。凄すぎる。
徳川家康配下で最も戦上手として天下にその名を轟かせた本多平八郎忠勝の肖像画は、「猛将としてのイメージ戦略」としてデフォルメされてるのかもしれないが、人間というよりは鬼とか、「泣く子はいねがぁ」のフレーズでおなじみの秋田のナマハゲみたいな顔でとっても怖い。武田信玄は中年期の「ダルマ顔」の肖像画が有名だが、武田晴信時代の若き日の肖像画は逆に爽やかなルックスで、実際どんな顔だったのだろうか? 生涯独身で同性愛者説が濃厚な上杉謙信は、顔の下半分が髭の濃い剃り跡がクッキリした、いかにもソレっぽい顔なのが非常に説得力を感じる。
名門のお坊ちゃん系では、まずはブサメン竜造寺隆信のライバルだった大友宗麟鎌倉時代初期から続く大名家の当主らしく育ちが良さそう&頭脳明晰っぽい風貌でちょっとイヤミに感じるくらい。北条家三代目の北条氏康は威風堂々とした容姿で、初代北条早雲の、抜け目ない陰謀家的な顔立ちと対照的である。足利一門で、桶狭間の戦いで信長に討ち取られた今川義元は、お公家さんコスプレ好きだったらしく、桶狭間の時はバカ殿風白塗りメイクをしていたそうだ。源頼朝の政務相談役である大江広元の遥かな子孫である毛利家では、戦国の雄毛利元就は知的に整った容貌で、孫の毛利輝元は、元就が築いた大毛利家当主としての貫禄が備わって、大企業の重役みたいな顔である。(但し輝元は、武将としての資質は、祖父元就、父隆元と違い平凡だったらしい)名門といえば、実は戦国大名No1名門家は武田家で、その先祖は平安後期の名将源義家の弟新羅三郎義光であるのだが、いかんせん武田信玄の顔はガテン系の親玉みたいな感じで、名門=花より男子的イケメンという訳には必ずしもいかないらしい。この法則は西洋にも該当していて、オーストリア皇帝ハプスブルク家は遺伝的に「シャクレ」になる確率が高いと云われている。
長くなったのでこのへんでやめます。