昔、寺尾聰ブームがあった。

子供の頃とても不思議に思っていた事、それは「寺尾聰ってなんであんなに流行っていたのか?」という事。1981年、自分が小学校4年の時だった。
寺尾聰ブームのきっかけは何と言ってもザ・ベストテンにおいて第1位の座を12週もキープしたという伝説の曲「ルビーの指輪」から始まったと思うのだが、同時期に「西部警察」にメインキャストとして出演していたんだよね。44マグナムを愛用する「リキ」というニックネームの刑事で、「太陽にほえろ!」における「ジーパン」のようにドラマの軸となる役柄だった。(主役はやはり大門団長=渡哲也だけれども)
今では「西部警察」のようなタイプの刑事ドラマは様々な理由から、もはや作られる事は無いだろう。有名な『パトカー大名行列』や『都内で堂々とカーチェイス&車を爆破し放題』等、予算・撮影条件での困難。現在の視点からするとあまりにも粗く稚拙な脚本・演出やキャラ設定(だからこそ当時のガキ共には分かりやすく、面白くもあったのだが)。そして何よりも『犯罪組織を(極悪な連中という設定とはいえ)問答無用に殺しまくる大門団長』は、現在では完全アウトですね。やっぱりちゃんと逮捕しないと、ってなりますよね。
西部警察」が、もし海外に輸出されて放送されたなら、「1980年代初頭の東京は、見た目マフィアの集団にしか見えない凶暴な刑事達が、高度に武装された特殊車両やヘリコプターを駆使して犯罪者を殺戮しまくる、デンジャラスな都市」だと勘違いされないだろうか?なにしろ第1話でいきなりテロリストが装甲車を使って都心に進撃し、六本木のテレビ朝日本社を襲撃するという、ほとんどクーデターみたいな展開を、一介の警察署(西部署)の連中が解決してしまう。大体『大門軍団』なんて呼ばれてたんだから、もはや警察の範疇を超えて軍隊です。
西部警察バナシが過ぎて横道に逸れた。寺尾聰に戻すと、1981年当時、「ルビーの指輪」があれだけの大ヒット曲になった事実が、子供心に受け入れ難かった。なにしろあの頃はアイドル全盛時代の幕開けといって良い時代で、「ザ・ベストテン」にしろ「トップテン」にせよランキングの上位は聖子、トシちゃん、マッチでほぼ独占。他に女性アイドルでは「花の82年組」登場以前とはいえ松田聖子の同期アイドル河合奈保子柏原芳恵はヒット曲を輩出、男性アイドルでは旧世代の郷ひろみ、西條秀樹などもまだまだ人気を保っていた時期で、要するに『平安時代藤原氏』と言っていいくらいランキング上位の大半をアイドル歌手が占め、特に聖子、トシちゃん、マッチが『摂関家』のように最上位を独占していた時期に、突然ポーンと寺尾聰が「ルビーの指輪」で1位を獲得、さらに「シャドー・シティー」「出航SASURAI」もベストテン入り、もはや「寺尾にあらずんば人にあらず」状態となったのだ。歌番組における平清盛みたいな男です。
しかしなんでそれほどカッコいいとも思えない風貌の中年男の、曲調もサビがあるような無いような延々同じトーンで終始する「ルビーの指輪」が12週も1位だったのか?他の曲も似た感じで「シャドー・シティー」なんて曲の5分の4は♪トゥットゥルトゥー〜とスキャットばかりで歌詞がほとんど無い曲なのにベスト10入りしており意味不明だ。
小4だった当時の自分なりに寺尾聰人気とは何なのか考えた結論は、「この人は大人が支持するタイプの歌手なんだろう」という事。「ルビーの指輪」の歌詞はまあ子供からしてもこれは大人の恋愛模様、別れの歌なんだろうなというのは判った。「大人が支持する歌手」といっても演歌系でもニューミュージック系でもなく、もっと渋い雰囲気。タバコの煙が立ち込める薄暗いスタジオでタレサンかけてアコースティックギター抱えて、当時知らなかった用語だけどAORっぽい感じ。
歌番組でようやく彼の曲がランク外に落ちてからしばらくして、「西部警察」のリキも殉職するという予告があって、殉職回を見た見ないで学校でもちょっとした話題になった。という記憶があったというのは、寺尾聰はまだまだデカイ存在だったという事なのだろう。突然の彼の殉職は石原プロとの仲違いが原因で彼を降板させる為の強引な設定だったという噂もあった。
石原プロの刑事ドラマ=殉職は「太陽にほえろ!」以来の伝統芸だから、視聴者側も一種のセレモニーとして受け止めていたんだよなあ。
それにしても1981年限定で寺尾聰という人はミュージシャンと俳優両方で全盛を極めていた。現在で例えると福山雅治みたいな感じだったのか?ルックスはだいぶ違うけど。